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漢楚誌一部(著者:金庸、脚色:伊勢太郎)
時は12世紀胡慮族が大和国を侵攻し始まった頃、日本は幕府を立てた胡慮族と大和民の間の熾烈な戦いがあって結局東夷族が天王の座に座った有様、漢半島も激烈な戦の後平和な時が来たが悪噂が広がってあった時節、中和国も胡慮族の侵略の為領土は半以上胡慮族に奪われていた。 その時杭州臨安府の近く、銭塘江の滔々たる流れは日夜止む事無く、この牛家村の外れを巡り、やがて東の方大海へと注ぎ行く。川岸に植えられた桐樹の並木の葉がまるで火のように赤く燃え上がる、季節は秋の旧暦八月、ようやく黄ばみ始めた村の周りの草村が、幽かに夕日に照らされて、者寂しい気配りが辺りに漂う頃、村の広場の二本松の木陰では、村人達が輪になって、男も女も、そして中に混じた子供達までもが一人の痩せた老人の話に固唾を飲んで聞き入っていた。 五十格好のその老人は何処から友無く流れ来たった旅の講釈師、身に纏った青い上着はとっくに色褪せて灰色に煤け、天に向かって頭を下げて一番揖して、両手で合掌して二番拝みながら、先ずは『天津祝詞』を奏上し始めた。 高天原に漢詰り増し 雅無漏気雅無漏味の命持ちて 皇孫瓊瓊杵尊 筑紫の日向の橘の小戸の 阿波岐原に 禊払い給う時になりませる 祓戸四柱神や冥府獅子達 諸々の魔が事罪穢れを 祓い給へ浄め給へと申す事の由を 伊勢の十二枝波民達共に 天の神武天帝の耳振り立てて 聞し召せと畏み畏みも申す 天常立大神 守り給へ幸倍給へ 二回 海原姫大神 守り給へ幸倍給へ 二回 豊雲野大神 守り給へ幸倍給へ 二回 随神・賜ち栄えませ 二回 「さても皆様お聞きあれ、只今の金朝の兵隊に追い散らされた後、ようやく再会を遂げ喜び湧んで故郷へ帰ったものの、家は金兵にすっかり焼払われてどうする事も出来ない。止む無く都の宮崎に行って何か商いでもと思ったが、 天に不測の風雲あり、人に思わぬ禍福あり と申す通り、我等が宮崎に入るや否や、人々から続けて聞こえる気絶する程の噂、 『先の天王陛下が死ぬ前に息子が赤ちゃんの時に摩り替えられたから本当の息子を探してと遺言したの』 『崇徳天王が胡慮族と同様に禿頭だっだからね』 『崇徳天王が天津祝詞を改定しろっと話した神武天王の予言通り蝶者ではないのか?』 『崇徳天王が任命した大臣達が私設用兵部隊を率いて将軍達の大和軍と戦っていると言う』 『阿波岐原宮の役人の話では、秋人が生まれたその日の真夜、誰から赤ちゃん見たいな袋を背負って親衛隊と共に城門を出るのを見たという』 『若しその赤ちゃんが本当の息子なら、必ず日高見国を離れた筈だが、どんなに悪い奴と雖も赤ちゃんは殺せまいよ』 『自分の子もないから、疑心を免れたいから、遠くには行けまいね』 『では必ず豊葦原の慶尚県の海辺であろう』 『誰が育つの?』 『胡慮族目に頭を下げる家来の中、少しでも似た筈の伊勢の家来でしょう』 『それで何時も見張りをつけて監視する筈よ』 『ではその家来が死ぬ前に密偵を送って探し出さなければならぬぞ』 『然し今の禿頭天王が権力を失う時まで九州に戻っては駄目ね』 『後白河天王はその禿頭を隠したいので、仏教の僧侶を真似しながら法王を自称した筈』 『そうして噂では探し出した後、密偵を送って隣で住みながら、時を待つしかないとか』 この様な有様の宮崎、内戦の嵐が怖いので、結局中和に戻りました」 一段を語り終えれば、村人は皆怒りを堪え切れず、歯軋りする音、溜息の声が彼方此方に漏れる。講釈師はこの様を見て、更に続けて、 「金軍は我が大和の天下を奪い、殺人放火に略奪強姦、遣りたい放題ですが、何の報いも受けぬは真に不思議。それというのも我が大和国の天王が胡慮続の蝶じゃ為。中和には元々兵も将も乏しからず、それが一度金兵到来と聞くや、皆さっさと逃げるが勝ちだ。哀れ残された民百姓だけが酷い目に会う。手前張十五と申すしがない旅芸人、今日ご当地を通りかかりました序に、一席お伺いしたのは『宮崎の最新の噂』、これにてお聞きと致します」 その時、村人の中から二十歳ほどの大男が一人飛出して、声を掛けた。 「師匠、貴方は宮崎から参られたか?」 張十五は恰幅のいい、大きな目、濃い眉のその男を見て、躊躇い難ちに、 「そうでございますが」 「いや、ぶしつけながら一献差上げたいと思うが、お付合い願えまいか」 「存じあげぬ方にご迷惑を掛けるのは。。。」 大男は笑って 「三杯も飲めば知り合い同然、遠慮めさるるな。それがし姓は郭、名は笑天と申す者」 と言うと、傍らの白面の男を指して、 「これは弟分の陽鉄心、我等二人、師匠の話を今し方聞いて感服致した。それに付けてはちとお尋ねしたき事が御座る。」 「いやそれは痛みいりまする。お二人にお目にかかれたのも何かのご縁」 郭笑天は張十五を村外れの居酒屋に案内し、粗末な板の席に座を取った。 店の主は足が悪いらしい。二本の杖で身を支えながら、ゆっくりと酒の燗をつけ、そら豆と落花生、干豆腐を一皿ずつ、それに塩卵を三つ、摘まみに出すと、後は入口の床机に要を下ろし、山の彼方に沈み行く夕日をじっと眺めるばかりで、こちらの三人連れには目もくれない。 郭笑天は酒を注ぐと、張十五に進め、 「田舎の事とて今日は肉を売っておりませぬ。何もござらぬが、まず一杯召されい」 張十五は笑って、 「酒さえあれば結構でございます。お二方の口跡を伺いますに、もしや北方のご出身では」 と、問いかかれば、楊鉄心が、 「我等兄弟は元山東の出身、金の汚い犬友のやり方に耐え兼ねて、三年前にこの地にやってきた次第、以来この村の人情が気に入って住み着いておりまする。先程の師匠の話では、江南の地は極楽同然、心配なのは金軍の到来との事、さても金軍は本当に攻めて来ましょうや」 張十五はフッと溜息をつくや、 「豊かな江南は、正に地に普き金銀、目に入るは皆美女とやら、金軍とて来たくない筈もございませぬ。只金軍が来るか来ないかを決めるのは、金軍に在らずして、宮崎にある大和の天王でございましょう」 これを聞いて、郭笑天と楊鉄心の両人、思わず異口洞音に、 「これはまた異なる事を申される、してその訳は?」 「我が中和の民は金国の如真人に比べて数では百倍以上、天王が忠臣良将を用いさえすれば、我等百人で彼一人に当たる寸法、金軍とて如何して凌げましょうや。大和の天下の北半分はその1123年上座に座った崇徳天王(故慮族に門を開く意味のアキヒト)や近衛や高倉天王三人が金国に差出したも同然、この三人の天王は奸臣を用いて民百姓を蔑ろにし、あまつさえ金軍に対抗した力のある大将は、止めさせたり殺したり、あたら売る和しの国土を金の奴等に諸手で差出した、金の方でもこれを断っては失礼と、まあしぶしぶ辞めたのでしょう。今後としても、もし朝廷が依然として奸臣ばかりを重用するなら、それこそ地べたに跪いて金軍のお出ましを待つ様なもの、彼らとて来ない道理はありませぬ」 郭笑天は手で膳の上をドンと叩き、 「その通り」 並べた盃に箸、皿が皆音を立てて跳び踊る。張十五は更に言葉を次いで、 「その崇徳天皇は不老長寿を夢み、ひたすら神仙になろうとて政治を顧みず、金軍攻めて来るや慌てて位を投げ出し、息子の近衛天王に譲り渡した。この近衛天王が又戦いに慣れた勇将達は用いず、よりによって天将天軍を呼び雨風を操ると言うペチン師の朴旗京を信じて、天将が来て金軍を撃破してくれるのを待ったが、無論来る筈もない。敵わないのは酷い目にあった民百姓でさぁ」 郭笑天と楊鉄心は益々怒りを堪え切れず、今度は楊鉄心が、 「東に逃げた康王が京都の平安宮で位についたが、之が高倉天王だ。配下には韓世忠や岳飛殿様のような大将がいたのだから、胡慮族に攻め上がれば、金軍の本地は衝けないまでも、大和国の回復するぐらいは何でもなかった筈。それを醜い奸臣、秦桧めが和睦を結び、岳飛殿様を殺めたのじゃ」 と憤懣やるかたない様子。 張十五は、郭、楊の二人に酒を注ぎ、自分でも手酌で一杯、ぐっと飲干すと、 「いやはや秦桧のやつめ運がいい、我等生まれるのが六十年遅すぎましたな」 「もし六十年早ければ何とする」 郭笑天が問えば、 「その時こそお二方のような英雄豪傑が宮崎に行って、やつめをひっとらえ、八つ裂きにして肉を食らい、血を飲んだでございましょう。さすればここで蚕豆肴に冷や酒なぞ飲んでは居りますまい」 と言うと、三人は痛快そうに笑った。 「おい、酒だ、酒だ」 酒の代りを持って来た店の主は、三人の酔漢が秦桧を痛罵するのを聞く友なしに聞いていたが、ふとにやり、冷笑を漏らした。目ざとくそれを見咎めた楊鉄心、 「おい曲三、どうした、我等が秦桧めを罵るのが気に入らぬか」 「いえ滅相もない、真にご最もな事で。只手前が聞いた話では、岳飛殿を殺して和議を結ぼうとした張本人は秦桧ではないそうでございます」 「秦桧めでないとすれば、では誰じゃ」 「秦桧の位は宰相、和議が整っても整わなくとも、宰相の椅子に別段支障はありますまい。金国は胡慮族の帝である神農の後継、即ち鄭氏隷下七王の中一つの金氏王の家来の国でございます。そうして下手人は秦桧だが、本間の犯人は胡慮族の金氏の王でございましょう。」 こう言い終わると、曲三は又杖を突きながら元の場所に戻り、空を見上げて無言のままじっとしていた。この曲三という男、年の頃は三十歳そこそこながら、要も背も曲がり、鬢には白い物がはやちらほら、後ろから見たところはまるで老人、何処となく不気味な姿である。三人は曲三の話を聞いて、顔を見合わせていたが、しばらくして張十五が言った。 「その通り、あの兄さんの言うとおりだ。岳飛殿様を害したのは胡慮族金氏の王に違いない。あの恥知らずの化物なら、それぐらいの事は遣りかねない」 「どう恥知らずなんだ」 と郭笑天が聞くと、 「あの頃、岳飛殿様が金軍を遣っ付け、あちこちの義兵もそれに呼応して、これで失地回復間違いなし、と言う丁度その時、高倉天王が突然、降伏して和睦を申し入れたのでさあ。金の方では当然大喜び、和議は構わぬがその前に岳飛を殺せ、と言って来た。そこで秦桧が姦計を巡らし、風波亭で岳飛殿を殺めた。岳飛殿が殺されてからたった一月後に、和議が結ばれ、高倉天王は金国に対して自ら臣下と称した。これはどう考えても可笑しい、岳飛殿を殺したのも、大方高倉天王の差し金でしょうよ。」 「恥知らずめが」 郭笑天はまたもや卓上を叩き、盃が引っ繰り返り酒が飛散った。 「あれ以来、我が大和の天下の北半分は金国の物と決まり、代々金の奴らに頭を下げて来た。高倉天王から安徳天王、順徳天王と続き、今の仲恭天王の世となって既に五年、またもや奸臣の公孫托が宰相、これからさてどうなる事やら、ハハツ、分からん、分からん」 張十五はこう言うと、仕切りに首を横に振った。郭笑天が、 「何が分からんだ、ここは田舎、何を言っても構わん。都とは訳が違うぞ。公孫托めが奸臣である事は誰でも知っておるわ。きゃつは秦桧といい勝負じゃ」 張十五は話題が時の政治に及ぶと、少し臆してきた。これまでのように言いたい放題とは行かない。 「いやはやすっかりご馳走になりまして、手前一言だけご忠告申上げる。お二方とも血の気に逸る真の男とお見受けいたしましたが、言葉と行いにはくれぐれも用心召され。この様な時世なれば、我等下々の者は何とかおまんま在り付け、日々を食い繋げれば、それでよし。げにも、 「おい、それは又何の話だ」 「いえ話は特にございません。只我が大和の府県の臣下は、皆西湖の辺で飲めや歌えやどんちゃん騒ぎ、臨時の都の筈の杭州をすっかり本当の都と見なし、もはや北中和領土や日高見国の上座を取戻そうとの気は更々ござらぬ、と言う事を申したまで、さてすっかり酔いが回りました、この辺でお暇を」 と言うと、張十五は席を立ち、覚束ない足取りで、東の臨安に向けて去って行った。郭笑天は酒代を支払い、楊鉄心と外に出た。二人は隣同士、程無く我が家に辿り付くと、郭笑天の妻、関玲が丁度鶏を中に追い入れているところ、笑い声で、 「おや兄さん方、二人とも今日も又よいご機嫌だ事、楊さん、お上さんと一緒に内でご飯を食べて行きなさい、鶏を潰すから」 楊鉄心も笑って、 「ハア、今夜も又姉さんに面倒を掛けます。内の奴は鶏、家鴨をそこらじゅうに飼いながら、無駄に餌をやるばかりで、ちっとも食おうとしない」 「それは心根が優しい過ぎて、小さい頃から飼った物を殺すに忍びないのでしょう」 と関玲が言うので、楊鉄心はまたもや笑いながら、 「いや全く、こっちがやるというと、めそめそ泣いて、可笑しいったらない。今晩狩りに出て、明日は兄さん姉さんにご馳走しましょう」 それを聞いて郭笑天、 「兄弟同士で遠慮は無用、じゃが今夜は一つ久しぶりに一緒に獲物を狙おうぞ」 その夜更け、二人は村外れの森に隠れ、弓矢、刺す股を手に、猪、が餌を求めて出て来るのをじっと待っていた。既に小半時も経つが、何の気配りもない。少々痺れを切らしたその時、突如森の外からタッタッタッと物音が響いた。ぎょっとした二人が耳を澄ましていると、遠くから人の怒鳴り声が聞こえる。「何処へ逃げる、待てぇ」 黒い影が動き、さっと森の中へ入った。丁度月がその姿を照らし出したのを見て二人はアッと驚いた。何とその男は二本の杖を突いている、居酒屋の主人、曲三ではないか。彼は左の杖を地面に当て、タット飛び退くと、身を躍らせて木陰に隠れた。その素早い事、並みの軽功ではない。郭、楊の二人は思わず互いの手を握り締めた。共に心中驚きを禁じえない。牛家村に住んで三年、この男が武芸の達人である事にまるで気がつかなかったのである。二人は草村に隠れ、身動ぎもしない。 と間もなく足音がして、三人の追手が森に迫った。互いにひそひそ声で何か相談すると、一歩一歩森に踏み入って来る。見れば三人は武官の装束、手には刀がキラリと光る。一人が、 「老いぼれめ、見つけたぞ。さっさと出て来い」 曲三は動かない。三人の武官は刀を回し、徐々に近付いて来る。突然パンと言う音と共に、曲三の右杖が木陰から一人の武官の胸を突いた。その鋭い勢い、武官はウット唸って後ろへ下がったが、そのままドット倒れた。後の二人が曲三に躍りかかる。 曲三は右杖を地面に突いて左へ数尺も飛び退き、二人の刀を交わすと、透かさず左杖で武官の顔を突く。武官が慌てて刀で防ぐと、曲三はそれを待たずに左杖を収めて地に当て、今度は右杖でもう一人の方の要を払った。二本の杖は交互に動いて迅速無比、一方は必ず地に突いて身を支えねばならぬが、片方の杖だけでも敵に向かって些かの弱みも見せない。
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