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[신천지][진짜 바로알자 신천지] 新天地、霊的な永遠のいのちと肉的な永遠のいのち

2008.09.26 22:12 | 일본어로 바로 알기 | next25on

http://kr.blog.yahoo.com/next25on/1015 주소복사

に正しく知りましょう。聖書と新天地

 

この容は教会や聖徒の信仰知識のために公益的な目的で聖書を根として書いたものです。

また、この容は教会や聖徒たちの信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエスの御言葉(マタ5:37)を根本として書いたのです。

 

霊的な永遠のいのちと肉的な永遠のいのち

 

 イエス様が新約に主張した永遠のいのちは、霊的なものだろうか、肉的なものだろうか?

 

 イエス様が、聖書は廃棄されるものではないから(ヨハ10:35)と言われた。今日、私たち聖徒は、聖書どおり信じなければならない。カルビンの当時のように、教権の圧力に勝てず、聖書を否認して、人の教権に屈服してはいけない。殉教者ステパノのように、勝利しなければならない(使7:51~60)。また、イエス様様のように、迫害とのろいを受けながらも、偽りを言わず、神様の御言葉を守って、まことの言葉を話さなければならない(ヨハ8:45~55)。まことの信仰人は、このようである。

 

 しかし、今日、一部の牧者たちは、ユダヤ人の偽りの牧者たちのように、カルビンのように、権威と偽りの手段と圧力で、自分の意向に屈服させて、そして、彼らの意向に従わなければ、ステパノとイエス様様を殺したように、聖徒たちの霊を殺す事は言うまでもなく、肉体的、精神的迫害をする事はもちろん、肉的な死に至らせる状況も発生している。

 

 最近起こった一つの例を挙げて見よう。ウルサンの一人の女性執事は、今日、強制改宗教育を受けたが、改宗しないとして、夫に殺された。信仰に対する教育は、抑圧と強圧と脅迫で、自分たちの教理に従わせてはいけないし、約束の御言葉で悟らせて、見て信じさせる事が道理である。抑圧的に教えた偽りの教理は、真理ではなく、そのような信仰は、まことの信仰ではない。

 

 さて、本論に戻って、永遠のいのちについて調べてみようと思う。

 

 イエス様が新約に、天国と永遠のいのちを主張して、ユダヤ人の長老たちと祭司長たちは、永遠のいのちを信じないで、イエス様様を攻撃した。永遠のいのちを主張したイエス様様に、悪霊が入って、たわごと言うと言って、アブラハムと預言者たちも死んだのに、あなたの言葉は、「人がわたしの言葉を守るならば、いつまでも死を見ることがない。」と言う。あなたは、死んだアブラハムや預言者たちより偉いのかと言って、永遠のいのちの問題で論争した(ヨハ8章)。

 

 新約の四福音書で見たところ、たいてい、永遠のいのちの問題でユダヤ人たちとイエス様様が言い争った。この争いで、だれの言葉がまことだろうか?

 

 前で見たように、イエス様が永遠のいのちがないと言うと、偽りを言う者になって、永遠のいのちがあると言うと、父なる神様の御言葉を守って、その通り代言したのだと言われた(ヨハ5:19~2012:49~5017:7~8)。

 

 イエス様が神様の御言葉を代言したように(Ⅰヨハ2:1)、私たちも、イエス様様の御言葉を代言する。今日、聖書どおり話した事は、神様とイエス様様の御言葉を代言した事になる。この代言の言葉を信じない事は、ユダヤ人のように、イエス様の言葉を信じない事であり、神様の御言葉を信じない事である(ヨハ12:44参考)。

 

 あかしした言葉に対して反論を提起しようとすれば、必ず、聖書の御言葉でしなければならない。主が語られた永遠のいのち論で見る時、食べれば死ぬ善悪の実をアダとエバが食べなかったとしても、死んで土に戻っただろうか(創3:19)?また、神様の姿と形どおり創造した人を、病気にして、苦しめて、死ぬようにされただろうか?

 

 ヤコブ書1章15節に見ると、死は罪によって来て、いのちであられる神様は、罪によって人から離れ去られて、人のいのちの年数を定められた(創6:1~3)。

 

 神様は、罪のないイエス様に来られて(ルカ3:22)、イエス様様は、人の罪をなくすために十字架に身代わりとなってかかられた(ヨハ1:29、Ⅰペテ2:24)。この後、離れ去られた神様の聖霊が、罪の赦しを受けた弟子たちに臨まれた(使2:1~4)。

 

 ラザロを死んだ者の中から生き返らせたイエス様が、死んだ者の中からもう一度生き返って、弟子たちに、手と槍の痕に、手を入れてさわらせて、霊ではなく、肉体である事(ルカ24:36~43、ヨハ20:26~27)を教えられた。この御言葉を信じているのかと聞きたい。アダムは、罪を犯した後、約千年を生きた。そして、黙示録20章には、第一の復活にあずかる者たちが祭司長になって、千年の間王となるという言葉がある。この御言葉を信じているのかと聞きたい。

 

 我が新天地イエス様教では、記録されたイエス様の御言葉を代言したのであり、新天地で聖書を根拠にせず、肉体が永遠に生きると証言した事はない。私たちは、聖書に記録されたとおり話すだけである。我が新天地は、イエス様様の弟子たちのように(ヨハ11:25~27)、イエス様様の御言葉を信じる。しかし、迫害者たちが、新天地で肉が永遠に生きると聖書にない話をしたと言った言葉は、ユダヤ人たちのように、偽りを作り出して、押し付けるための策略である。

 

 これは、ちょうど、使徒たちが話してもいない事を、使徒たちの信仰告白だと言って、使徒信条を作って、全聖徒に認めさせた仕打ちとも同じ行為である。

 

 新天地イエス様教は、聖書が話す永遠のいのちについて、何と言っただろうか?

 

 聖書の御言葉のように、死んで生きる事は、神様の権限の中にある(ヨブ1:21)。いのちであられる神様が離れ去ったアダムは、約千年を生きて、それ以後、原罪、遺伝罪、自犯罪が増し加わる事によって人の寿命は縮んで、約70年になった(詩90:10)。罪が増し加わる事によって現われた事は、寿命が縮む事であった。罪が赦されて、いのちであられる神様が再び人に臨まれれば、長生きする事ができると思う。だから、イエス様が永遠のいのちを語られたのは、ご自分が人の罪を解決して、約束したいのちであられる神様と、再び一つにさせる事ができるので、言われた御言葉であった。

 

 聖書では、永遠のいのちについて、どのように言っているのか、調べてみよう。

 

◎永遠のいのちについての聖書的証拠

 

―イエス様は彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。*また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。*マルタはイエス様に言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。(ヨハ11:25~27

 

―肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。・・・・*しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。*もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。*もし、イエス様を死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエス様を死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によってあなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。(ロマ8:5~11

 

―ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。*なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。*この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。(Ⅰコリ15:52~54

 

―御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、*人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。」(黙21:3~4

 

 神様がアブラハムに預言された事を、神様がモーセに来られて実像で成し遂げられた(創15:13~14、出12章)。この時、エジプトの全国民が、立ち上がって、神様が共におられるモーセに敵対して、憎んだ。また、旧約の預言者たちに預言された、その神様がイエス様様に来られて、その預言を実像で成し遂げられた(ヨハ19:30)。この時、肉的イスラエルの全民族が、、立ち上がって、イエス様を取り除くために血眼になった。約2千年前、契約(預言)されたイエス様は、今日、新天地に来られて、成し遂げられている(黙21:1~6)。この時、今の霊的イスラエルが、立ち上がって、新天地を取り除くために血眼になっている。前で見たように、神様が共におられた所、新しい時代の働きを創造する所を、古い旧時代の人々が迫害した。

 

 ガラテヤ書4章29節に見ると、肉によって生れた者が、聖霊によって生まれた者を迫害すると言った。神様と、その御言葉を信じる聖徒は、迫害する所と迫害される所、この二ヶ所のうち、どちらが、神様が共にいる所なのか、聖書で判断しなければならない。メシア(救い主)を待って、一日に3回ずつ断食して祈った肉的イスラエルの人々が、本当にメシアが来た時は信じないで、かえって、迫害して、殺すまでした。

 

 今日も、新約を預言したイエス様が霊で来られて(初臨の時の神様のように)、新約を成し遂げているのにもかかわらず、迫害に専念する事は、初臨の時、ノアの時、ロトの時と、何が違うだろうか?しかし、ひたすら約束の御言葉を信じる聖徒は、来て、成就された実像を確認して、信じて、救われるようになるのである。

 

 我が新天地は、聖書に記録された事を信じて、記録された御言葉を代言している。この御言葉に反対する人は、聖書を信じないからである。いつ、我が新天地が、聖書にない言葉を作り出して、死なないで、肉体が永遠に生きると言った事があるだろうか?上の聖句を見て、信じなさいと言ったのである。初臨の時のユダヤ人たちのような、永遠のいのちに対して迫害することを中止しなければならない。肉であっても、霊であっても、永遠のいのちがなければ、信仰する理由がないと思う。私たちは、イエス様が語られた天国と永遠のいのちを、その弟子たちのように信じて(ヨハ11:25~27)、聖書どおり成し遂げられる事を信じる。

 

新天地を迫害する人々に、聖書的な宿題を一つ出そう。神様が聖書に語られた目的が何か、わかるだろうか?上の問題に答えていただきたい。この問題についての正答がわからず、信仰をして来たというならば、わかるように学ぶ事が信仰をする者の道理である。我が新天地は、信仰人たちに神様の目的を知らせる事を望んでいる。

   

 

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감사합니다~~^^

[신천지][진짜 바로알자 신천지] 新天地、新・旧約の約束の牧者

2008.09.26 22:11 | 일본어로 바로 알기 | next25on

http://kr.blog.yahoo.com/next25on/1014 주소복사

 

本当に正しく知りましょう。聖書と新天地

 

この容は教会や聖徒の信仰知識のために公益的な目的で聖書を根として書いたものです。

また、この容は教会や聖徒たちの信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエスの御言葉(マタ5:37)を根本として書いたのです。

 

新・旧約の約束の牧者

 

 1.旧約の預言と約束の牧者

 

旧約のマラキ3章1節に見ると、神様が道を備える使者を遣わして、求める所の主が、その宮(殿)に臨む事を約束(預言)された。また、子を産んで、相続と鉄の杖を与えて、万民に教訓(戒め)をもってわかるようにさせ、その子と口づけせよと言われた(詩2:7~12)。

約束の子は、ベツレヘム(ミカ5:2)のおとめのからだから生まれて(イザ7:14)、万民の罪を赦すため、十字架に身代わりとなってかかられ(詩40~41篇)、救いを施され、天の福音の種を蒔く事を約束された(エレ31:27)。

 

 この約束された預言(エレ31:22)の時から約6,7百年が過ぎた後、預言どおり約束の子が生れて、神様が彼とともにおられて、旧約の預言をすべて成し遂げられた(ヨハ19:30)。世に勝利されて(ヨハ16:33)、肉的イスラエルとモーセの律法を終わらせて、霊的イスラエル12支派を創造され、天国の種を蒔いた後、収穫するために、もう一度来られる事を約束された(マタ13:3036~43)。これが今日の私たちと約束した新約である。

 

 2.新約の約束の牧者

 

 初臨と再臨の働き(旧約の成就と新約の成就)を、へつらう奸臣の手段と心で見ないで、約束自体を信じる正義にのっとった心で、だれが、だれに与えるものなのかについて、目を凝らして見なければならない。

 

 まず、神様が道を備えるともしびの働きを開いて、イエス様に成し遂げさせて(黙1:12~20)、勝利者を女から生れさせて(黙12章)、選ばれて、子にして、相続を受け継がせた(黙21:7)。また、イエスが、封じられた黙示の本を開いて、見せて、勝利者に食べさせて(旧約:イザ29:9~14、ハバ2:2~3、エゼ123章、マタ15:24/新約:黙5章、6章、8章、10章)、伝える者(民族、国民、国語、王たち、黙10:1113:7)に、もう一度預言させた。そして、黙示録2,3章で見たように神様が、イエス様に与えられたように永遠のいのちの食物と審判する石と鉄の杖を勝利者に与えられ、聖なる都、新しいエルサレムが彼に臨んで、聖殿になるようにされて、イエス様が勝利して父と一つになったように勝利者にもイエス様の御座にともに着く権威を与えられた。

 

 初臨のイエスが世に勝利されて、律法と預言と預言者を終わらせて(ルカ16:16)、霊的イスラエル12支派を創造されたように、今日の勝利者も預言と預言者を終わらせて、霊的新しいイスラエル12支派を創造した(黙127章)。

 

 イエスが旧約の預言どおり(エレ31:27)天の福音の種を蒔かれたように(マタ13章)、今日も新約の預言どおり盗人のように来られて、収穫して、印を押されて、神様の国12支派を創造された(マタ24:29~31、Ⅰテサ5:~11)。イエスが天国が来た事を知らせられたように(マタ4:17)、今日も選ばれた牧者である勝利者が、天国が来た事を知らせている(ルカ13:28~30)。

 

 初臨の時の働きと再臨の時の働き、そして初臨の時と再臨の時の預言と成就を聖書で確認して、悟って、聖書どおり成し遂げられた事を信じよう。聖書を見てもわからないという事が、信仰の大きな病であり、罪になる。

 

イエス初臨の時、血で新しい契約を立てた(マタ26:26~29)、その血で人々を贖って、再臨の時、神様の国と祭司長、すなわち12支派を立てられて(黙5:9~107章、14章)、その血で罪を洗って、白い衣を着た大きな群れである天民を創造されている。聖書の約束、すなわち預言を信じる者は、まず、確認して信じて救われるようになる。約束した新しい歌を学んで、約束の民族である天民になろう(黙14:1~5)。

 

   

出所 : http://cafe.daum.net/scjschool



 

新?旧約の約束の牧者, まず、確認して信じて救われるようになる。約束した新しい歌を学んで、約束の民族である天民になろう 08.09.05 12:08

이제부터 기도하며 일어 공부 다시 합니다 아버지여 감사 합니다

[신천지][진짜 바로알자 신천지] 新天地、教会は天国の神様に行く道を教える所

2008.09.26 22:10 | 일본어로 바로 알기 | next25on

http://kr.blog.yahoo.com/next25on/1013 주소복사

 

本当に正しく知りましょう。聖書と新天地

 

この容は教会や聖徒の信仰知識のために公益的な目的で聖書を根として書いたものです。

また、この容は教会や聖徒たちの信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエスの御言葉(マタ5:37)を根本として書いたのです。

 

教会は天国の神様に行く道を教える所

 

 キリスト教、仏教、儒教などは天に行く道を教える点では同じ宗教である。しかし、この道は、ただ、そこに行って来た者だけがわかる。これは、世の中の道ではなく、天に行く道なので、だれもがわかるものでもなく、だれもが教える事ができるものでもない。時代ごとに神様が遣わした者がいる。彼が神様の使者である。天の霊が地の肉界の使者に来て、教えて、導くのである。神様と神様の国がどこにあっても、そこが天国であり、天国を望む信仰人は、そこに行かなければならない。この天国に行って見た事もない牧者がこの天国に導けるだろうか?

 

 イエス様は、天国から来られて、天国に行かれて、再び天国から来られる(ヨハ3:34、ヨハ14:1~3)。そこは、いつ現われる、どこなのだろうか?現われると、今日は、それを見て信じる事ができるだろうか?自分の知恵、自分の知識や判断や考えで話す事は広くて大きな空を指で指す事に過ぎないのだろう。肉の考えや知識は、霊の考えや知識と同じではない。旧約が話した(イザ29:9~14、ハバ2:2~3、エゼ1,2,3章)啓示が来る時まで(マタ11:27)は、すべての牧者が人の戒めだけで教えた。しかし、人の戒めではイエス様の啓示を理解できなかった(マタ22:29)。

 

 このように、今日、新約の啓示が来る時まで(黙5,6,8,10章)人の戒めだけで教えて来たのが事実である。今日の牧者たちが、各自の考えや判断で黙示録を解いた事がその証拠である。まことの信仰、まことの天国、まことの永遠のいのちを信じるならば、聖書と現実を認めるべきであり、新天地であかしするまことの啓示を受け入れなければならない。昔の預言の使徒たちに言ったように、「異端だ、悪魔だ、悪霊につかれた。」という言葉を、もうやめて、自分の聖書的無知や間違いを心から悔い改める時である。聖書のまことの意味はわからないのに、ほかの人を責めて迫害するのは、真理になるのではなく、天国と永遠のいのちを得るのではない。牧者でも博士でも、救われるためには自分がわからない事は学ばなければならない。

 

信仰の基準は聖書である。今日、聖書に戻りたくても、啓示の御言葉を教える新天地を通さなくては行く事ができない。もし、今日の新天地が初臨当時のイエス様がされたようにしたなら、この時代はみんな、大騒ぎになったのであろう。その当時のイエス様が語られた御言葉を覚えているだろうか?そして、それを信じるならば、今日の新天地が話した事が傷になる事がないのではないだろうか?聖書と関係なく、無条件、「異端、異端」と言うのは、その言葉を話す者自身に問題があるという事である。我が新天地は、預言と実像、まことの真理を知らせるために最善の努力を尽くしている。祝福がある者は、その啓示の御言葉とあかしを受けて、守って、救いに至るのである(黙1:1~3)。

 

 

   出所 : http://cafe.daum.net/scjschool

なぜ信仰しますか?心の安らぎを得るためですか。物質の祝福を受けるためですか。いろいろあると思いますが、究極的には「永遠の命」ではないでしょうか。まさか自分はすでに救われたと思っていますか。救われたという証拠ありますか。 08.09.03 08:37

감사히 담아갈께요 *^^* 08.09.03 13:41

教会は天国の神様に行く道を教える所, 天国を望む信仰人は、そこに行かなければならない。この天国に行って見た事もない牧者がこの天国に導けるだろうか? 08.09.05 12:09

교회가 마땅히 천국으로 인도하는 것이 당연한 이치인데 알지도 볼수도 없는 지식없는 무지를 깨달지 못하므로 신천지 하나님의 길로 돌아오지 안는걱 안타깝지만 하나님뜻 이루시는날 달이 일곱날의 빛과 같이 빛날것 입니다

[신천지][진짜 바로알자 신천지] 新天地、「李」、「陳」の聖書についての紙上論争の結果(要約)

2008.09.26 22:09 | 일본어로 바로 알기 | next25on

http://kr.blog.yahoo.com/next25on/1012 주소복사

 

本当に正しく知りましょう。聖書と新天地

 

この容は教会や聖徒の信仰知識のために公益的な目的で聖書を根として書いたものです。

また、この容は教会や聖徒たちの信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエスの御言葉(マタ5:37)を根本として書いたのです。

 

李」、「陳」の聖書についての紙上論争の結果(要約)

 

 陳某氏が、第3者を通して聖書についての紙上論争を、李氏に提議して来た。この提議を李氏は総務から聞いて、承諾した。「李」、「陳」各自が主張した内容を、第3者を通して伝達して、その受け取った事についての反論、および、主張を記録して送り合った。しかし、受け取った内容は、聖書についての説明ではなく、人身攻撃に過ぎなかった。これは、聖徒たちを導く牧者として、神様と聖徒たちの前に出せるようなものではないと思った。李氏が陳氏に、人身攻撃的なことを中断して、預言された御言葉をもって論議しようと提議した。李氏側から聖書の解釈に関する40問題を提議しながら、その40問題について答えをすれば、論争を続けようと思うが、答をしないなら再論する価値がないので、しないと言った。この内容を受け取った陳氏は、その40問題については一言も答えず、一方的に紙上論争で自分が勝利したとインターネットに載せた。この後、陳氏が、李氏を警察に告訴した事があり、この時、警察署で、李氏は、初めて陳氏に会った。この時、李氏が陳氏に、もう一度会いましょうと定義して、その次の日、陳氏は、自分を含む3人といっしょに「李」と会った。この時、李氏が、自分と向かい合って座った陳氏側のテーブルの上に録音機を置いて、陳氏に言った。「なぜ、聖句40問題については一言も話さないで、一方的にあなたが紙上論争で勝ったと言ったのか?本当に負けた人は、聖句40問題についての答ができなかったあなたではないのか?」と言った。そして、李氏が、「今、聖句をさらに10問題持って来たので、今答えてみなさい。」と言いながら、10問題を取り出して読んだ。10個の問題を聞いた陳氏は、驚いた表情で(会ってから10分にもなっていなかったのに)、約束があって、今、行かなければならないと言いながら、立って行ってしまった。そして、その40問題と10問題については、数年が過ぎた今でも答えていない。

 

果たして、だれが勝って、だれが負けたと思うのか?牧者たちの間では、人身攻撃や世の中の論理より神様の御言葉で論争すべきであるし、互いにわからない事は聞いて、悟って、正しい真理を信じて伝える事が信仰人の姿勢だと思う。

 

新天地イエス教は、初めから主の祈りの「大概(韓国語の主の祈りには、“大概、国と力と栄とは・・・”となっている)」を言わなかったし、使徒たちの信仰告白という「使徒信条」も暗証しなかった。そして、使徒信条を認める事は、間違った事だと主張して来た。しかし、主の祈りの「大概」と使徒信条を、すべてのキリスト教徒たちがみんな認める事を、新天地ではしないからと言って、異端だと言った。その後、何年かが経って、聖書の主の祈り(マタ6:9~13)にない「大概」をしない事にしたと言う。ところで、なぜ、多くの教会が、聖書にない内容を言っている使徒信条を、まだ、しているのだろうか?

 

新約聖書をすべて見てもピラトがイエスを殺した事ではなく、当時の祭司長たちと長老たちが、議会で公論して、ユダヤ人たちを先導して、殺したのである(マタ27章)。12弟子たちも、イエスを殺した者は、ピラトではなく、大祭司長たちと長老たちだと聖書に証言している(使3:13~15)。ピラトは、イエスを神様の息子であり、王だと認めて、三度もイエスに罪がないと宣告して、イエスの血についてピラト自分には罪がない事を知らせる意味で、水で手を洗った(マタ27:24)。ユダヤ人たちは、イエスの血の代価について、自分たちと、その子孫たちが責任を負うと、審判者ピラトに約束して、イエスを渡してもらって、十字架につけた(マタ27:25~26)。イエスを殺すために公論した、その議会が、どうして、聖なる議会(聖なる公同の教会)であり、自分たちが殺したイエスが、どうして、ピラトが殺した事になるのか?

 

以上のことから見ると、イエスを殺した者は、ピラトではなく、ユダヤ人の祭司長たちと長老たちなので、使徒信条は、間違ったものであり、教会で使徒信条を使徒たちの信仰告白として認める事は、イエス様に対する当時の祭司長たちや長老たちと同じ罪を犯す行動だと思う。

 

聖書の内容と違う使徒信条を、なぜ、認めて、さらにまた認めさせるのか?箴言と黙示録22章とガラテヤ1章8節に、「加減すれば、天国に入れず、のろわれる。」と言われた。このようにしても間違った使徒信条を続けるのだろうか?自分と、その子孫たちが犯した罪を隠して、その罪をピラトに押し付ける行ないをして、使徒信条を暗証することは、万国が、その言葉に惑わされた行ないだと思う。

 

そして、韓・基・総(韓国基督総連合会)が、異端鑑別師として立てた改宗牧者の教理と主張は、聖書とは別の非真理で、これは、強制改宗した者たちに、毒麦の種を蒔いた事である。この事実は、大衆の前の公開討論ではっきりする。

 

出所 : http://cafe.daum.net/scjschool

 

真相は必ず明かされます。新天地、ファイト! 08.09.01 08:39

紙上論争の結果, 韓?基?総(韓国基督総連合会)が、異端鑑別師として立てた改宗牧者の教理と主張は、聖書とは別の非真理で、これは、強制改宗した者たちに、毒麦の種を蒔いた事である。この事実は、大衆の前の公開討論ではっきりする

[신천지][진짜 바로알자 신천지] 新天地、神様の国、天国

2008.09.26 22:08 | 일본어로 바로 알기 | next25on

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本当に正しく知りましょう。聖書と新天地

 

この容は教会や聖徒の信仰知識のために公益的な目的で聖書を根として書いたものです。

また、この容は教会や聖徒たちの信仰のため「あなたがたは、正しいことは正しいと、正しくないことは正しくないと言いなさい」と仰せられたイエスの御言葉(マタ5:37)を根本として書いたのです。

 

神様の国、天国

 

 聖徒が信仰する目的は、天国と永遠のいのちである。この天国には、神様とイエス様と天使たちがいる。この天国は、どこにあるのだろうか?ここは、天下のそのだれもわからない。しかし、わかる人は、ただ、新天地イエス教の人たちだけである。

 

 仏教徒たちが頭を丸めて、世の中の俗世から離れて、山中の寺に行ったのは、単純に、寺を探して行ったのではなく、釈迦に行ったのであり、カトリックの神父と修道女たちが、自分の家と世の中の俗世から離れて、カトリックの修道院に行ったのも、ただ、修道院に行ったのではなく、天主に行ったのである。果たして、釈迦と天主は、そこにおられるだろうか?

 

 天地を創造された神様は、エデンにおられた。ここの人々が罪を犯したので、神様は離れて行かれた(創6:1~3)。キリストが罪と関係なく、自分を望む者に、もう一度来られる時(ヘブ9:28)、人が罪を犯すことによって離れて行かれた神様も、ともに来られる。

 

旧約聖書に、この地に来られると約束した神様と天国と天使たちは、イエス様に来られた。しかし、その時代の肉的イスラエル(太陽、月、星:イスラエル、創37:9~11)は、夜になって(夜:光が死ぬ事)、神様と天国を憎んで、のろって、悪口を言って、行かなかった。天国と神様がイエスに来たならば、イエスに行く事が天国に行く事であり、神様に行く事であった(ヨハ14:6)。光が死んで、夜になった彼らに、まことの光が照らしたが、悟れなかった(ヨハ1:5)。新約を成し遂げる今日、黙示録3章12節に見ると、神様とイエス様と天国が、勝利者に臨まれる。

 

今日の霊的イスラエルが、本当に聖書と神様を信じて、天国とイエス様と神様に行くことを望むならば、新約聖書が言った神様とイエス様と天国がある所に行かなければならない。そこは、約束の牧者である勝利者がいる所である。勝利者は、神様の御座、すなわち、イエス様の御座にともにすわるようになって、鉄の杖を受けて、万国を治めるようなって、白い石を受けて審判をするようになって、永遠のいのちの食物を受けて、それを印を押された12支派の聖徒たちに与える(黙2~3章)。聖書を信じる者は、確認して、信じるのであり、聖書を信じない者は、かえって、迫害するのである。しかし、救いは、信じる者にある。

 

出所 : http://cafe.daum.net/scjschool

天国は天のどこかにあると漠然と思っていましたね。それで、死んだら当然天国に行くと、真理を悟るまではそう思いました。 08.08.28 15:50

天国と聖書を信じる者は、確認して、信じるのであり、聖書を信じない者は、かえって、迫害するのである。しかし、救いは、信じる者にある

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